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カプチーノの歴史



P-89プロジェクト

1980年代後半、スズキ社でスポーツカー開発計画が進められた。これは「P-89プロジェクト」と呼ばれ、コンセプトは「市販を視野に入れず、次世代スポーツカーを提案すること」。
そのP-89プロジェクトの中で一台の試作車両が作られた。それはスズキ社の理想を濃縮したものであり「FR方式、最適な重量配分、車重480kg」という驚くべきスペックで1987年の東京モーターショーに出展された。これが後のカプチーノとなる。
当時スズキ社はP-89について「あくまでもショーモデル」と言っていたものの、非常に多くの反響を呼んだ。


市販決定

スズキ社がどんなに「ショーモデル」と言っても、世間の期待は膨らみ続けた。
と言うのも、P-89はしっかりと軽自動車枠に収まっており、エンジンもミッションも市販モデル(アルトワークス、ジムニー)を流用。すぐにでも市販できるような状態だった為である。
こういった背景の中、スズキ社にはP-89市販の要望が殺到。そしてついにスズキ社はP-89市販型の開発を決定したのだった。
尚、市販決定の発表は、当時の社長であった鈴木修氏自ら「11PM」(読売テレビ系列)で行った。


カプチーノ誕生

量産型を造るにあたって一番の問題はコストだった。P-89はショーモデルが前提だった為惜しみなく素材を使うことが出来た。P-89の車重が480kgだったのもカーボンコンポジット構造の為であり、その構造で市販するとコスト面の問題が出てくる。 しかしP-89のコンセプトを崩すことは世間の期待を裏切ることになりかねない。
そこでスズキ社はシャシー形状やサスペンションなどに工夫をし「コンセプト、コスト、性能、重量」のバランスを絶妙に取り、期待通りのカプチーノを見事に造り上げた。
また当時の軽自動車規格の拡大に伴い、ショーモデルに搭載されていたエンジン「F5B」は「F6A」に変更。これによって排気量は660ccとなり、最大トルクも向上。
コスト面の問題でカーボンコンポジット構造はスチールモノコック構造に変更され、車重は700kgとなったが(これでも十分軽いが)エンジン性能が上がったためコンセプトが揺らぐことは無かった。

こうして世間の大きな期待を背負い、1991年にカプチーノはデビューした。

マイナーチェンジ

カプチーノが登場して4年後の1995年、大規模なマイナーチェンジが施された。
エンジンがF6A型からアルミブロックを使用しているK6A型へ変更。K6A型は最大トルクがF6A型よりも1.8kg/m増しとなり、軽量化によって車重をマイナーチェンジ前よりも10kg減らすことに成功した。

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